30代半ばぐらいまで、「人を嫌うのはダメなことだ」と思っていました。
もっと言うと「誰かを嫌いな自分が嫌い」という状態。
こういう考えの人って意外といるんじゃないかなあと思います。
でも少しづつ考え方も変わってきて、今では堂々と「別に誰かを嫌いでも、苦手でもいいや」と思えるようになりました。
頑張ってもどうしても合わない人はいる
その苦手な誰かって、たいてい職場の上司や同僚など仕事関係だったり、友人、ママ友、家族、親族など。
簡単には距離をとりたくてもとれない人である場合も多い。
特に血のつながった親や兄弟など、簡単に縁を切りますなんて難しい。
そんなときによく言われるのが
- 相手の良いところに目を向けよう
- 相手を猿や犬だと思おう
- 相手をランドセルを背負った小学生だと思おう
というようなアドバイス。
どれも私が人から言われてきたことです。
でも、相手のいいところを見るって、自分にとっては相手の苦手なところの総量>いいところの総量だから苦手である訳で、かなり難しい。
嫌いじゃなくなる努力を自分なりにやってみて、さんざんしつくしてみても苦手なものは苦手なんです。
残念だけど、世の中にはこちらが誠意を持って接しても通じない人が一定数います。
自分だって完璧じゃないし、いい人じゃない。誰かを嫌いでもいい。
そう自分を認めたら、ふっと力が抜け、楽に生きられるようになった気がします。
誰かを苦手でもこれはやらない
誰かを苦手でも全然OK!と自分にOKを出していますが、それはイコールその感情をそのまま表に出すことではありません。
これだけはやらないと決めていることが2つ。
悪口を人前で言わない
特に職場だったり、あるコミュニティの中での人を苦手な場合。
自分が苦手な人って、ほかの誰かも同じように思っている場合もあるものです。
でも誰かと一緒に人前で悪口を言ってしまったら、自分の信用も下げることになる。
つい軽い気持ちで言ってしまったら後になって後悔する可能性も大きい。
愚痴を言いたくなったら、そのコミュニティ以外の信頼ができる友達やパートナーに言うようにしています。
頭の中でその人をフォーカスしない
苦手な人のことってどうしても「こんなことされた、あんなこと言われた」と頭の中でいっぱいになりがち。
でも限られた頭の中のスペースを苦手な人でいっぱいにするのって、すっごくもったいないこと。
無理して相手を好きになるより、さっさとその人を頭から除外して、代わりに自分が楽しいこと好きなことでいっぱいにする。
そのために自分にとって有効な何かを知っておくと、よりラクになります。
私の場合は、次に行く旅行の計画を妄想したりすることなんかがそうです。
生き方がラクになる大原扁理さんの本
プチ隠居生活をされている大原扁理さんの本が大好きで。
ミニマリスティックで、本質的な考え方がとてもおもしろいです。
この本の中にも、”苦手な人を好きになる努力をする方が、身体を悪くしそう”というような一節があって心に残っています。
ちょっと心が疲れた時に読むと、気持ちがふっとラクになる本です。
今はこうだけど未来はわからない
「誰かを嫌いな自分が嫌い」な人がいたら、自分を責める必要なんてないよと言いたい。
それが血縁者であっても。
苦手な人は苦手なままでいい。
そして今は苦手だけど、将来はそうじゃなくなるかもしれない。そうなったらハッピー。
でも苦手なままかもしれない。別にそれでも全然いい。
そう今の状態で早急に白黒つけすぎないことが、一番心が安定する考え方なのかもしれません。
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